バレンタインなんて知りません編

※付き合ってない

最近は友チョコなんて呼ばれるものもある。らしい。

生まれてこの方バレンタインなんてものは縁の無い生活をしてきた。
だから、ほんの好奇心みたいなものでバレンタインってイベントごとに参加してみたい。その程度のものだ。
特に深い意味は絶対に無い。

チョコレートはすでに準備してあるのだ。
それが例えコンビニで買ったものだとしてもチョコレートはチョコレート。
一応、バレンタイン専用のチョコレートなのだ。必要充分に違いない。

といっても、何が必要充分なのかは知らない。

買ったチョコレートを確認のために眺めるたびにぞわぞわと気恥しい気分になる。
そもそも、恋人でも何でもない安田に渡そうとしている時点で頭が沸いているに違いない。

いっそ自分で食べてしまおうかと思ったのだけれど、うだうだと一人で悩んでいるうちに14日当日が来てしまった。

当たり前の様にうちに上がり込んでいる安田は、もはやまるで自分の家の様に勝手に食べるものを作ってテーブルに並べている。

こっちももう、それに慣れてしまっていて箸を並べたりしつつ、録画してあるアニメをぼんやりと見ていた。

こういうのはさりげなく気負わず、さっさと渡してしまうべきなのだろう。

「安田。」
「坂巻さん、ドレッシングゴマと和風とどっちがいいですか?」
「……マヨネーズ。」

上手く切り出せず、取り合えず食事の後でもいいかと思い直す。
相変わらず、なんか良く分からない名前のメニューだけれど美味いからまあどうでも良い。

腹が膨れて、ようやく一息つく、デザートにって渡せばいいんじゃないのかと思って取り出そうとする。
実際、チョコレートを自分がデザートとして食べた記憶は全く無いが、それはそれ、これはこれだ。

声をかけようと口を開きかけたところで安田は立ち上がって食器を片付け初めてしまった。
何か行動をしている人間に上手く話しかける方法は良く知らない。

まともにコミュニケーションを取ることすら怪しい人間が、突発的な事案に対応できるはずが無いのだ。

今日はバレンタインだぞ、その辺いつもの妙な察しの良さで何とかしろよと八つ当たりにも似た感情がふつふつと湧き上がってくる。

「今日は原稿するんですか?それとも風呂入れてきますか?」

自分が入りもしない風呂の心配をするなら、もうちょっと、こう、さあ!

「気が付けよ、馬鹿……。」

ああ、これは完全に八つ当たりだ。
自分で分かっているのに出た言葉が割と酷くて、自分で笑ってしまった。

「坂巻さん、どうしたんですか?」

聞えてしまえば、きちんと言葉のキャッチボールを試みようとするあたり、安田はえらいのだろう。
だけど、それに対して普通の反応としてボールを投げ返してやるのはちょっと俺には難しい。

だからといって何も無かったことにできる程の能力も無く、仕方が無くチョコレートの包みを投げつける。
フルスイングで投げつけなかっただけ褒めて欲しいく位だ。

安田はキャッチした包みと俺を二度三度交互に見た後、目を見開いた。

「これ、もしかしてチョコですか。」
「……ああ。」
「もしかして、俺にですか?」
「……非常に不本意ながら、まあ。」
「嬉しいです。物凄く。」
「……。」
「ここで食べていってもいいですか?」
「……別にいいんじゃね。」

明らかに喜んでいる様でホッとする反面、胃の上の当たりがもぞもぞとして居心地が悪い。
自分の家にいるっていうのになんだって、こんなに居心地が悪いんだ。

だからこそ、その次に安田が言った言葉をまともに聞いていなかった。

「じゃあ、泊まっていっても?」
「ああまあ……って、はあ!?」
「別に取って食いやしませんよ。」
「食うのはチョコだろ。」

俺がそう返すと安田は声を出して笑った。

「そうですね。チョコ食べましょう。」

安田は上機嫌でそう言うと、自分で持ち込んでいた布団の支度を始めていた。そういえば、原稿の締め切り前以外で安田が泊まるのは初めてだと気が付いたけれど、わざわざ言う程の事も無いから気づかないふりをする事にした。

END