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「痛くないのか、とか普通聞きませんか?」

口をついて出たのはそんな言葉だった。

「痛いんですか?」

きょとりとした目で見つめられながら言われた。

「いや、少し倦怠感があるのと、週末行っていただく実家は禊になりますので行水をしていただくとは思いますが。」
「そうですか。頑張ります!!」

ニコリと笑顔を浮かべてそう答えられて毒気を抜かれてしまう。
痛いかもしれないという不安を植えつけたのに、五十嵐君は何も言わなかった。
自己嫌悪に陥りそうになって、振り払うように立ち上がった。

「少しだけ、はじめちゃいますね。」

恐らく、五十嵐君と二人きりになる事を小西先輩は許さないだろう。
案の定ちらりとみた小西先輩は頷いた。

ぐちゃぐちゃに絡み合って、もはや巨大な毛糸玉の様になってしまった糸に触れる。
べとべとしていて気持ち悪い。

「先輩、お水いただけますか?」
「飲むのか?」
「いえ、手をぬらしたいんです。」

先輩にお願いしながら、指先に力を込める。
一本一本引きはがすように外していく。

糸というものは本来、こうやって干渉しあったりはしない。
だから、引きはがせさえすれば、元の二人を繋ぐ最短距離に向かってスルスルと離れていくのだ。

小西先輩が風呂で使うものだろう、たらいに水を入れたものを俺の横に置いた。
それで、時たま手をぬらしてべとべとを洗い流しながら、一本一本取っていった。

「リラックスしていていただいていいですから。ここから動かないなら、本を読んだり、TVを見たり何をしていてもかまいません。」

俺が五十嵐君に言うと、小西先輩が

「DVDでも見る?それとも雑誌でも持ってこようか。」

と聞いた。
五十嵐君は俺を気にした様に、見た。
大丈夫ですよと笑うと、おずおずとじゃあ、雑誌をと小西先輩に返していた。

1時間ほどたっただろうか。
五十嵐君が長い溜息の様なものをついた。

糸の塊はおおよそ半分ほどになっていたが、今日はここまでだろう。

「今日はここまでにしましょう。」

俺が声をかけると、五十嵐君が糸の塊に視線を寄越して、目を見開いた。

「すごい!!さっきよりすごく減ってる!!」

ニコニコとお礼を言われる。
ただ、五十嵐君の表情はとても疲弊していた。
本来、くっついていてはいけないものとはいえ、自分とつながっているものを引きはがされるのだ。
体が慣れず疲れてしまうのだ。

「しばらくは倦怠感が続くと思いますので、良く休んでください。
次は明日ですけど……。」
「俺の部屋でいいよ。一人部屋だし。」

小西先輩が提案をした。

「あ、あの。」

五十嵐君が俺と小西先輩に交互に視線を移した。

「先輩がいいなら、俺もそれでいいです。」

俺が言うと、五十嵐君はぺこりと頭を下げた。

「夕食、出前取ろうか?」

五十嵐君に向かって小西先輩が言った。

さて、俺はもう必要ないだろう。
カバンを持って立ち上がると「それじゃあ、また明日。」と二人に声をかけて玄関へと向かった。

後から、小西先輩が見送りについてきたのには正直驚いた。

「カードキー借りておきますね。」

靴を履きながら言う。
ドアを開けるところで「ありがとうね。」と言われた。

彼が喜んでいたことが嬉しかったのか。
どういう表情をしたらいいのか分からず、困ってしまった。

「それでは。」早口でそれだけ言って立ち去ろうとしたところで、よろめいてしまった。
不味いと思った時には小西先輩に支えられていた。
距離がとても近くて、一刻も早く離れたかった。

「ちょっと、亘理お前熱くないか?」

訝し気に言われ、固まった。

「もしかして、具合が悪いのに今日来たのか?」
「いえ。」

俺が口ごもっていると

「もしかして、今日のアレが原因か?」

と聞かれた。
俺が、答えられないでいると、長い長い溜息が至近距離から聞こえた。
突き飛ばす様に押しのける。

「大丈夫です。ちょっと慣れないだけで、直ぐに収まります。
先輩も五十嵐君と居たいでしょ?俺以外が何とかしようってなると、しばらく実家に泊まり込みになってしまいますよ。」

暗にそれは嫌でしょう?と問うと勿論同意してくれると思っていた小西先輩の顔は、苦し気に歪んでいた。

「兎に角、一晩休めば大丈夫ですから、また明日。」

言い逃げる様にして、俺はあの人の部屋から飛び出した。

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