あれから暫く経った。
最悪な気分で朝起きる。
昨日の残りご飯を握っておいたお握りを食べ、一度寝室に戻って制服に着替える。
いつもの日課である指先の糸を、ドアノブに引っかけようとして、やめた。
もう、意味が無いのだ。
自嘲するように口角を上げてから溜息を一つ付く。
溜息をつくと幸せが逃げるというが、幸せが逃げるから溜息を付くのだ。
順番がそもそも逆だと思った。
のそのそと重たい足取りで校舎へと向かった。
◆
昼休みになった。
人ごみは嫌いだ。
下を向くと目に入るのは、糸・糸・糸。
まるで川の様に糸が伸びている。
色々な方向に伸びている場合もなくはないが、この糸のつながる先は人間だ。
必然的に人口の多い方角に向かって糸は伸びていくのだ。
だから、学食にもあまり行かない。
あの人がどこで食事をとっているのかも詳しくは知らなかった。
この糸は引き合う等ということは無いのだ。
購買でサンドイッチを購入して空き教室で広げていると、引き戸が開けられる音がした。
そちらを見ると、小西先輩がこちらを覗き込むように立っていた。
「一緒に昼ご飯いい?」
笑顔を浮かべ、こちらの返事等どうでもよさそうに入ってきて俺の目の前の椅子に腰を下ろした。
手には購買の紙袋を握っているので、食べるものを持ってきたらしい。
「学食にはいないだろうと思ったから買ってきたんだ。」
俺がいつも学食を使わないことを知ってる訳がないのにそういう風に言われ思わずそらしていた視線を小西先輩に向けた。
「俺もあのごちゃごちゃとした物見ると食欲なくなるもん。」
カツサンドを取り出して頬張る小西先輩は当然の様に言った。
「だからって、なぜここに?」
「自分の指からのびた糸をたどるのって結構面倒だね。廊下で2度ほど分かんなくなったよ。」
「どうやってここまで来たかではなくて、なぜ俺のところに来ようと思ったかが知りたいのですが。」
仕方が無く自分のツナサンドを取り出して食べる。
どんな状況でも美味しいものはおいしい。
「んー?この糸を利用しようとしない君が気になるって言ったら、信じるぅ?」
「まあ、信じませんね。」
間髪入れず俺が返すと、面白そうに声を上げて笑われた。
信じる訳がないだろう。
「ねえ。あの子の糸を解くことはできないの?」
「……解いたところでアンタと繋がりはしませんよ。」
「うん、それは知ってる。」
少しだけさみしそうに小西先輩は言った。
「あの子、もう限界みたいなんだ。今日も何でって泣きそうでさ。大地だけはいつも態度が変わらないから嬉しいって。」
「のろけですか?大分懐かれてるじゃないですか。このまま優しい先輩でいればアンタに靡くんじゃないですか?」
言ってからとても厭味ったらしい言い方になったと気が付き思わず顔をそむけた。
だから、その時どんな顔で小西先輩がこちらを見ていたかなんて知らない。
「変なオーラを引き寄せちゃうんです。」
静かに小西先輩は言った。
「あの子、そう言ったんだよ。」
多分、糸が見えないにしろ何かを感じてるんじゃないか。なら、何か助けになれるんじゃないか。
こんこんと、小西先輩は説明した。
「そもそも、本人が毅然と断ればそれで済むことですよ。
あれを何とかしたとして、別の悪縁に蝕まれないなんて誰も保障できない。」
目の前のサンドイッチを飲み込んで俺が言う。
「見るからに悪縁だったとしても、必要な場合もあるんですよ。
能力があるからといってそれを行使していいということにはならない。」
「……じゃあこの糸を切るって言ったのは?」
「だって、つながっているのは俺ですから。」
「切ったことによって、お互いに別の〝悪縁”が降りかかったとしても。」
「それも覚悟の上ですよ。」
だから、言ったのだ。
「なんで、俺の希望を叶えるために亘理君がそんな覚悟してるの?」
二人しかいない室内にそれは思いの外大きく響いていた。
何故って、そりゃあ。
「そんな事どうでもいいでしょう。
それよりあの転校生の話ですよね。
あの手の絡まりは解いても解いても、本人が変わらない限り引き寄せますよ。
本人が自覚して、でその手伝いをうちがするのであれば可能ですけど。
そもそも、それで彼が変わってしまってまだアンタらの好きな無垢の彼のまま居られるのかは俺には分かりません。」
まくし立てる様に一気に言うと
「どうでも良くはないんだけど、今はまあうん、それでいいよ。
それに、俺はあの子が無垢だから大切だと思ってるんじゃないよ。
彼が成長するかどうかは彼が決めるべき事だ。」
そう返された。
視線は恐ろしくて合わせられそうになかった。
「兎に角、一回あの子の話を聞いてもらっていいかな?」
「……わかりました。」
絞り出すようにそう一言言うだけで精一杯だった。