無表情な顔がこちらを見る。何故、戯さんがこんなところに。
そもそも、様子が違いすぎる。本当にこの人は戯さんなのだろうか?
薄暗い社殿に、明りが灯る。俺も、目の前の戯さんらしき人も何もしていないのに…。さすがに少し驚いて、周りを見回してしまう。
「我と、由高以外、ここには誰もいない。」
そう、いつもと全く違う話し方で言われ、そちらを見る。
誰もいない?お社様の元へ自分は来たのではなかったのか?ということは……。
「あなたが、お社様……。」
金色の目を見て、尋ねる。尋ねるというより、もはや確認に近いその言葉に、お社様は緩く是と返す。
「まず、何から話せばよいか……。」
相変わらず無表情のままだが、視線を右へ左へずらしていることで、悩んでいることが感じ取れる。正直、俺も聞きたいことが山ほどあったが、自分も何から聞いたらいいか分からない。
それでもおずおずと尋ねる。
「お社様はその、戯さんなんですか?」
びくり、とお社様の動きが一瞬止まったが、気を取り直したように
「望月家で会っていた、戯は我のことだが……。ああ、瞳の色の事か?」
と言う。目の色の問題だけではない気がするのは俺だけだろうか。
正直に
「勿論、瞳の色もですが、表情とか、しゃべり方とかあまりに雰囲気が違いすぎるので。」
と答えた。
でも、やっぱり、戯さんなんだ。まじまじと目の前の人物をみる。モノクロの世界がサラサラと解けて極彩色になるような感覚。いつも会う時のように顔に熱が集まるのが分かる。
「まずは、我について説明しようか。我は蟇(マ)と呼ばれる一族の者だ。蟇というのは、ガマガエルの神格化したものと考えれば、間違いではない。今はこうして、人型でいるが本来は蛙だ。こうして人型を取っていても、どうしても蟇の性質を受け継いでしまっている為、表情を作るのが苦手でな……。能力を封印している時であれば、笑い顔だけで有れば作れたのだが、今はどうにも難しい。済まぬ、怖がらせてしまったか?」
「いいえ、戯様が怖かったとかそういうことではなく、ただ、戸惑ってしまって。」
「そうか、なら良いのだが……。それから、戯という名は隠し名だ。真名である”時雨”(しぐれ)と呼んではくれぬか、伴侶殿?」
は、は、伴侶!?その言葉を聞いた瞬間、驚いた。生贄と呼ぶのが憚られるから、便宜上『嫁入り』と言っているのではないのか?でも、そのあと、恥ずかしさと歓喜がじわじわと足先から上がってくる。
「し、時雨様……。」
思わず名前を呼んでしまう。
すると時雨様は「別に様は要らんが、まあ、今はそれでいい。」と言っていた。
「その様子だと、儀式と由高の役目についても良く分かっていないようだな。50年という年月は人の子には長い。」
そう言って、時雨様は説明してくれた。
「この地が、もともと脆弱なのはさすがに知っておろう。脆弱な土地には邪なるものが引き寄せられやすい。それを払うために我等がおるのだが、元々我は神界の者はこちらの世界に干渉しにくくなっておる。そこで、人界の者を伴侶とすることでこちらの世界に干渉できるようにするというわけだ。端末となる人間に負担がかかるので、50年で、その夫婦は引退し、別の守手がまたこの土地を守るという仕組みになっておる。」
負担ってどういうことだろう?50年後とえらく先の話だけど、俺はいったいどうなるんだ?少し不安になっていると、別に痛みがあるとかそういうことではないし、50年後以降も普通に神界で暮らすらしい。
本当に、言葉通り『嫁入り』するだけということだろうか?それだと時雨様側に何のメリットも無い気もするが、神様というのはそういうものなのか?
相手は好きな人だし、神様だし失礼のないように、たどたどしいながらも聞く。
「ああ、結婚と思ってもらって我は構わぬぞ。こちらの益も勿論ある。我の一族は同族同士だと極端に子ができにくい。しかし、人界の者を介すると出生率が上がる。我が母もその昔、こちらの世界より『嫁入り』してきた人間だ。」
やはり結婚なのか、というか子供って……。
「あの、俺、見ての通り男なんですが。」
俺では絶対に無理だ。時雨様の望むものを差し上げることができない。
目に涙が溜まりそうになり、隠すように下を向く。両親と別れる時ですら涙なんて出なかったのに……。
「性別は別に関係ない。嫁が男であろうと我が一族の子を孕むことができるようになっている。」
うつむいていた顔をばっと上げる。
時雨様が俺の目尻に手を伸ばし、指で涙をすくい上げる。
「好きだ。俺と結婚してほしい。」
諦めたつもりでいたけれども、ずっと聞きたかった好きだという言葉に嬉しさがあふれる。しかも、口調も戯さんとして一緒にいた時のもので……。ずるい、ずるいよ。感極まってしまい、ぼろぼろと涙がこぼれる。返事なんて決まっている。
「俺も、あなたのことがずっと好きでした。
不束者ですが、よろしくお願いします。」
返事を聞くや否や、時雨様はぎゅっと俺を抱きしめてくれた。
俺はその胸の中で暫く泣きじゃくっていた。