今日は、朧は帰宅が遅くなると言っていたし、幸い天気も良く室内は明るい。
姿見をリビングに運び、新聞紙を床に敷き詰める。
鋏はよさそうなのが無く、キッチン鋏だが仕方がない。
適当に前のほうから鋏を髪の毛に入れていると、ガチャンと電子キーが解除される音が玄関からした。
今日は買い物の依頼をする必要もないので、いつも細々とした用事をこなしてくれる鈴木と名乗る少年には予め断りを入れてあったはずだ。
鋏を持ったまま玄関の方を見ると朧とその部下の佐々木さんがこちらへ向かっていて、驚いた様にこちらを見ていた。
「……何をやっているんだ。」
朧は半ば呆然として聞いてきた。
「何って、髪の毛を切っているんですよ。」
見てわからないのだろうか。
ぶっ、と横で佐々木さんがふき出す音が聞こえた。
「それは分かっている。何故、ここでしかも自分自身で切ろうとしているのか?と俺は聞いているんだ。」
溜息をつきながら朧は言った。
最初の頃は怖かった彼の溜息は今はあまり気にならない。朧曰く、どうやら俺の行動は全体的におかしいらしい。
「何故って、外に出る訳にいかないし、そもそも俺働いてないからそんな金ねーよ。」
語尾がだんだんと小さくなってしまったのは勘弁してほしい。
「何を言ってるんだ。」
眉間に皺を寄せて朧は俺を睨みつける。
俺、また何か可笑しい事でも言ったのだろうか。
「いや、だって外出ちゃいけないんだろ?」
ぼそぼそと返すと
「そんな筈がないだろう。護衛はつけさせてもらうが軟禁状態にした覚えはない。」
「……でも、そもそも靴も無いし。」
軟禁状態になっているという感覚はなかった。
あまり、外に出たいとも思わなかったし、ずっとずっとバタバタと暮らしてきたのでゆっくりと家事をして、たまに室内で運動をして、それで朧を待っていられればそれで幸せだったのだ。
朧と佐々木さんは目を見開いて、朧が佐々木さんに目配せをするとバタバタと佐々木さんは玄関へと向かった。
「髪の毛は後でヘアサロンに行くとして、とりあえず座れ。」
視線でソファーを指定されてそこに座る。
俺、何もしてないよな。
ソファーに座ると向かい側に朧が座った。
すぐに佐々木さんが戻ってきて、靴がない事、それから俺の世話係になっていた鈴木君を呼んだ旨を朧に伝えていた。
「鈴木君関係ないですよね。そもそも彼いつも謝ってましたよ。彼に自由にできるお金がない事と俺が外に出れない事。」
佐々木さんに言った。
「服とかはどうしてらしたんですか?」
「生活費として渡された中から買ってきてもらうか、鈴木君が気を使ってくれてお古を持ってきてくれてました。」
佐々木さんに聞かれ正直に答えた。
「生活費はいくらだと聞いていたんですか?」
「5万円ほどと言われました。」
朧は長い長い溜息をついた後、口を開いた。
「少なすぎるとは思わなかったのか。」
「へ!?いや別に、借金のカタに金をかけても意味が無いし、昔の生活よりよっぽどいい暮らしだったんで。」
舌打ちをされて、さすがにビクリとなった。
「報告では、かなりの金額を使っていることになっていますね。」
佐々木さんはニコリと貼り付けた笑顔でそう言った。
朧は「そうか。」とだけ答えた。
暫くすると血相を変えて鈴木君がやってきた。
顔面蒼白を通り越してもはや青黒くなっている。
「あ、あのっ。何か不手際でもありましたでしょうか!!」
声を振り絞り佐々木さんに尋ねている。
傷んだ金髪が彼の震えに合わせてゆらゆらと揺れていた。
「貴方が、彼の世話をしていたのですね。」
「はい。」
「外に出さないようにと言われたのですか。」
「はい。」
「生活に必要な物の買い出しも貴方一人で行っていたのですね。」
「はい、そうです。」
「ちなみに費用は誰から受け取っていましたか?」
「倉本さんからです。」
佐々木さんはニコニコと笑顔を浮かべながら聞いているのに鈴木君がとても緊張しているので会話はとてもぎこちなかった。
「ありがとうございます。貴方がしっかり職務を全うしてくださったので感謝していますよ。」
そう言うと佐々木さんは先程までとは違う柔らかな笑みを浮かべた。
それから、朧の方を向いて
「彼自身が何かしているということはないでしょう。横領するつもりならば、わざわざ自分の服を差し入れる必要もないですし。」
「屑の処分はお前に任せる。」
表情を変えることなく朧は言った。
鈴木君は大丈夫ってことだよな。責任取らされたりしないよな。
「あの、彼は……。」
俺が聞くと
「引き続き、お前の世話係兼護衛として働いてもらう。
おい、鈴木とかいったか、護衛の経験は?」
「あ、ありまひぇん。」
緊張がピークに達したのか、朧に聞かれた鈴木君の呂律が怪しい。
「佐々木、道場の手配をしておけ。」
「はい、かしこまりました。鈴木、来週から月水金の夜は護衛の訓練になりますから。」
「わ、わかりました。頑張ります!!」
直角よりさらに腰を曲げて鈴木君は頭を下げた。
「さてと。」
朧はそういうと俺を抱き上げた。
所謂、お姫様抱っこの体制でちょっと意味が分からない。
「何してるんだよ。」
「靴がないんだろ?ならば仕方が無いだろう。これから買い物に行くのだから。」
「は!?いや、別に俺は裸足でも。」
朧は俺を無視してそのまま出掛けようとしている。
佐々木さんと鈴木君は何故だか微笑ましいものでも見るようにこちらを見ている。
いや、だっておかしいよね。
ぶつぶつ言う俺に、朧は
「今日は、出会ってからの分たっぷりと貢いでやるからそのつもりで。」
そう言って人の悪い笑みを浮かべた。
あの、別に今でも十分生活支えてもらってますから。
それより、アンタがこうやって俺のいるところに帰ってきてくれる方がよほど嬉しい。
そう言って抱き上げられた顔を見上げると、嬉しそうに笑う朧がいた。
了