自分から、恋人の部屋に入ることはあまりない。
お互いどちらかというと一人で過ごす時間が好きだったし、特に蘇芳の部屋に行くような用事もない。
好きなだけ本を読んで、時々近くで蘇芳の髪の毛がはらりと動く様を見る。それで満足なはずだった。
最初に思い出してしまったのは耳元で聞こえる蘇芳の吐息だった。
多分それがいけなかった。
普段それほど蘇芳の事を考える時間は長くない。
だから、少し他の事を考えれば大丈夫だと思っていたのだ。
別に恋人と上手くいっていないとか、そういう話ではない。
けれど、そういうことを求めたことが無かったので戸惑ってしまう。
◆
蘇芳の部屋の扉を開けると、彼は英語で書かれた資料に目を通していた。
ちらりと顔をあげて、少しだけ驚いた表情を見せる蘇芳に居心地が悪い。
「どうした?」
あのガラス玉の様な瞳でこちらを覗き込むように見つめられると何もかも見透かされている様な気がしてしまう。
けれど、もうどうしようもなくて、視線を逸らす。
そらした先がベッドでさらにいたたまれない気持ちになる。
「……あのさ。」
別に声に色気も、艶も何もない。
やる気を感じられないとよく周りからも言われる。
いつもと同じ声だったはずだ。
何故そんなに嬉しそうなのか、考えたくも無い。
多分、もう蘇芳は俺が何故この部屋のドアを開けたのか気が付いているのだろう。
察しのいい男だ。
だから何も言わないのは、最後まで言わせたいからなのだろう。
ゴクリ。
飲み込んだつばの音が、自分のものだったのか蘇芳の物だったのか分からない。
「セックスしたいんだけど。」
かわいく首をかしげて、抱いてとでも言えばよかったのかもしれないがそれはできなかった。
それを嬉しそうに聞いて、双眸をさげる蘇芳も馬鹿だが、その様子を見てほっとしてしまう自分も馬鹿だ。
そこでなんで突然と聞いてこない蘇芳に感謝する。
そんなもの自分でも言語化できない。
蘇芳がおいでと手招きするように腕を差し出す。
瞳は情欲に濡れているのに、所作は相変わらず美しい。
けれど、上手く彼の手をとることが出来ず、ベッドに腰をかける。
蘇芳の喉の奥で笑う声が聞こえる。
そんな俺の行動のどこが蘇芳の琴線に触れるのかは分からない。
分かってることは、随分と蘇芳の趣味が憐れなものだという事だけだ。
けれど、今この瞬間だけは蘇芳の趣味が悪いことに感謝しておきたい。
ベッドに腰かけた俺を見下ろす様に立つ蘇芳は目を細める。
俺の耳を指でくすぐってそれから指先は頬を撫で首を伝う。
指が俺の鎖骨で止まった。
「いつでも俺の部屋に強請りに来てくれてもいいのに。」
「は……っ。」
聞き返すための言葉は、痛みと少しばかりの快楽に詰まってしまう。
蘇芳の顔が俺に近づいたと思ったら、鎖骨を噛んだためだ。
かがむ様にして俺の鎖骨に歯を当てる蘇芳はそのままひざまずく様な体制になる。
別に皮膚が割けるほどの強さじゃないものの、多分歯型がくっきりと残ってしまっているだろう。
確かめる様に何度も鎖骨を舐めて、かじる蘇芳に焦れた様なくすぶる様な感覚になる。
そもそも、したくて、したくてたまらなくてこの部屋のドアを開けたのだ。
思わず蘇芳の頭に手を回す。
さらりとした黒髪が指を通る。
「なあ、もうっ……。」
我慢できないからという言葉は蘇芳の唇に奪われてしまう。
蘇芳は多分ゲイじゃない。
俺もそうだけれど、聞いたことも無ければ聞かれたことも無い。
けれど、蘇芳の様な全てを持っている男が、俺の切羽詰まった様子をみて情欲に表情が塗りつぶされている。
ほっとした気持ちと、それからほんの少しの優越感。
中を広げられる圧倒的な存在感に思わず蘇芳に縋りつくと、無意識に中を締め付けてしまったのだろうか、蘇芳がハッと息をもらす。
もう何度も繰り返してきた行為だ。
蘇芳がコンドームを付けるのを見るのも抽挿を繰り返すときに俺を押さえつける手もなじみ深いものになっている。
けれど、中をめいっぱいに広げられる感覚は慣れそうにない。
毎回、あまりにも鮮烈で、多分きっと一生慣れない。
蘇芳の顔が俺の鎖骨に近づく。
歯が当たって思わず彼の背中に爪を立ててしまう。
蘇芳の噛み癖については本人にきちんと聞いたことは無い。
こういう時以外に、噛みつくこともないから、多分俺だけが知っていることなのかもしれない。
痛みに一瞬眉を寄せると、一度噛みついた鎖骨の上の薄い皮膚を何度も甘噛みされる。
きっと歯形が付いてしまっているのは経験で知っているのに、自分の体はもっととねだるみたいに蘇芳に縋りついてしまう。
一番深い部分を抉られて、あられも無い声を上げる。
それは自分が蘇芳に強請った結果で、その事実が一層快感を煽る。
蘇芳のさらりと髪の毛が落ちる姿を見れば充分だという気持ちは今でも変わらない。
だけど、同じくらい彼に何もかもを暴かれたい。
恋愛感情は確かにあるけれど、彼に噛み跡を付けられて喜んでいる感情は恋と同じなのかは知らない。
もう触れなくても達することのできる起立が、じんじんとする。
「好きだ――」
めったに言わない睦言が漏れる。
蘇芳の舌打ちが聞こえたと思ったら肩を押さえつけられて、それからばつばつと音がするくらい腰を叩きつけられる。
のけぞって、それでも快感を逃しきれなくて悲鳴の様な喘ぎ声をあげる。
蘇芳はもう後はただ無言で徹底的といってもいい位俺を追い詰めた。
◆
「しばらく、自分から強請るのはもうやめとくな……。」
掠れ切った声で苦笑交じりに言う。
事後のけだるさがまだ残っているのに、この言い草は自分でも無しだと思う。
それなのに、蘇芳は嬉しそうに笑って「じゃあ、今度は俺から誘いますね。」と言った。
了