『お嫁入り』の前日、母は泣きながら、俺の好物ばかりの夕食を食べさせてくれた。
皆が寝静まった後、父が静かに部屋で泣いていたことも知っている。
だけど、俺は泣くこともできずただ月を見ていた。
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外は、小雨が降っている。
『お嫁入り』は毎回こんな天気になると、おじさん(彼方の父親)が言っていた。
嫁入り衣装といことで白無垢でも着させられたら、恥ずかしさで憤死できると思ったが、神社の巫女さんの衣装の色身を抑えたような着物で少し安心した。
それを、彼方とおじさんに着せてもらう。
荷物は旅行鞄を一つ、最低限必要なものだけが入っている。携帯はどうせ使えないだろうから置いてきた。
山の麓からお社まで徒歩で歩いていきお社で儀式をするそうだ。
お社まではおじさんを含めて、4人の大人が一緒についてきてくれるらしい。彼方が苦々しそうに、「逃走防止の見張り役だ……。」と呟いていた。
彼方と別れを惜しむ。彼方は思いつめたような顔で「大丈夫だから。」と言ったが、俺には意味が分からなかった。真意をただそうとしたが、彼方は口を開こうとして、おじさんに止められていた。
山道、前に二人、おじさんともう一人彼方の親戚のおじさんが平安時代のような着物に、顔を布で隠し、烏帽子をかぶっている。布には顔のようなものが書かれているが、鼻は妙にリアルなのに目は一つだったり、口は三角だったり、不思議なものが書かれている。
間に俺が進み後ろから、大きな傘を俺にさしかけてくれている人と、もう一人、荷物を持ってきている人がいる。後ろの二人は、着ている物は同じだが、顔を隠している布には「影」と書いてあった。
全員一様に無言だ。
こういうことを観察できるというのもずいぶん俺も冷静なのかなと思うが、たぶん違う。感情というものがごっそり抜けおちて、モノクロの世界にいるようだ。諦の境地というのはこういう事を言うのだろうか?
もう、それすら俺には分からない。
しばらく歩くと、お社についた。社殿の方に向かって進むとそこにあり得ない人物が座っていた。
驚いて、足をとめる俺にかまわず後ろの二人が荷物を社殿に運び入れる。
おじさんが振り向き俺の近くまで来て小声で「私たちがいけるのはここまでた。済まない。」といってそのまま社から出ていく。
俺と目があったままのその人物は片足を反対側の膝に乗せて、くつろいだ様子で座っていたが、スッと立ち上がりこちらへ向かってくる。
「何で、戯さんがここに……。」
状況が全く飲み込めず目の前にいる相手の名前を呼ぶ。そもそも本当に目の前の人は戯さんだろうか?
いつもの笑みは全くなく無表情で、目が金色に爛々と光っている。
「とりあえず、社殿の中に入ろうか、濡れてしまう。」
人の子は弱い。
そう言って、戯さんは俺の手を引いて社殿の中に入って行った。