2016年5月拍手お礼文
※美容師×大学生
別に女になりたかった訳じゃないんだ。
大学に進学して、一人暮らしを始めて。東京の暮らしにも少し慣れた気がする。それに東京は思ったよりずっとずっと人が多い。だから、誰にも見つからないと思ったんだ。
だって、朝の電車だって、いつも同じ電車に乗る人は居るかもしれないけれど細かい顔なんて覚えて無いし、サラリーマンだとかそんな印象以外わかないじゃないか。
だから、女装って気が付かれても、俺だって気が付かれはしないんじゃないかと思った。
週に一回位電車で一緒になるだけの目の前の男に声をかけられた時に真っ白になってしまった。
「あれ?声かけちゃまずかったかな。」
綺麗に染められてセットされた髪の毛をかきながら男は言う。いけないとかそういう問題じゃないんだ。そんなにすぐわかってしまうものだろうか。
今日は平日で、大学の友人は皆学校に行ってるかそうでなくてもバイトでもしているかと思っていた。こんな恰好をしていてしかも直ぐにばれてしまったら、俺はどうしたらいいか分からない。
はいていた花柄のスカートを、ぎゅっと握りしめて下を向いた。
今すぐここから逃げ出したかったけれど足が動かない。
「ゴメン、いじわるしたくて話しかけた訳じゃないんだ。」
眉を下げて、本当に困った様子で言われた。髪の毛もだけど服装も足の長さが際立つスキニーパンツとジャケットも整った顔と体にとても良く似合っている。
こんな風に恰好よければ自分に自信が持てるんだろうか。まるで現実逃避するみたいに考えてみる。
「……そんなに俺だってわかりますか?」
ただ単に電車で一緒なだけの気持ち悪い女装男に言われても困るだろうか。それよりも、誰にも言わないで欲しいと頭を下げるのが先ではないか。頭の中はごちゃごちゃになってしまっている。
「んー、どうだろう。先入観があるからね。」
男は苦笑した後、言った。
「俺、美容師なんだよ。だから、よく髪の毛見ててさ。それで――。」
男は自分の右耳を人差し指でトントンと触れた。
「君、右耳に二つ並んでほくろあるの知ってる?」
慌てて自分の耳を触ってみるが、そんなことで確認できるはずもない。けれどもそんな珍しい特徴があるなら、いつ誰に気が付かれてもおかしくないことだけは分かった。
「あ、あのっ、このことは誰にもっ……。」
「そもそも、君と俺、知り合いですらないんだから誰かに伝えようないでしょ。」
クスクスと男は笑った。それがなぜだか羞恥心に繋がって赤くなりながら俯いた。
「俺が声をかけたのは、そういうんじゃなくてね。」
勿体ないと思って。そう続けた男が何を言いたいのかよく分からず思わず顔を上げて首を傾げた。
「だって、君素材はいいんだから。」
恰好良いなんて言われたことは無い。平凡、地味と言われることはあっても素材がいいなんて初めて言われた。“は”と“な”の間の口をはくはくと繰り返すと、もう一度面白そうに笑われる。
「俺にメイクとコーディネイトさせてよ!」
彼に言われた申し出は最初意味が分からなかった。何も答えられないでいると男はもう一度ダメ押しの様に言った。
「女の子になりたいのか、変身願望のストレス発散かは分かんないけど、俺一応プロだし今よりずっと可愛くしてあげられるよ。」
可愛いの言葉に思わず頷いていた。今までただ同じ電車に乗ることがあっただけの知らない人で、今日初めて話すのに何故かずっと仲良かった友人に頼るみたいに頷いていた。
「よしっ!」
嬉しそうに彼は言いながら、手を差し出した。それはまるで恋人にする感じで面食らった。
「俺んち行こうか。メイクやり直してあげる。」
くしゃっと笑った男の顔がまぶしい気がして目を細めた。
END