愛し合ってみませんか5

掴んだ手を離さないまま、エレベーターへ乗り込む。
そこでもあいつは相変わらず無表情のままで一言も喋らない。

家での無言は全く気にならないし、むしろ何かに集中しているかリラックスしている証拠だと思えるのだが、今はこの狭いスペース内で非常にいたたまれない気持ちになる。
仕方が無く、一つ一つ下っていく階数表示のランプを見つめた。

すると、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
まあ、こんなところでベラベラと話せる訳無いと思い直す。

家に帰ったら絶対にとっちめてやると心に決めて、あいつを掴んでいる手を握り直した。
それにしても恐ろしく無表情だ。これが素の佐々木正孝という事なのだろうか。
取ってつけたようなと表現するのがぴったりなイッケメーンスマイルも地味にムカついたが、これは正直やめて欲しい。それに尽きる。
研究資料に目を通している時も、実験中も、それに結構前の事になってしまったがあの夜こいつが恋愛をしないと聞いた時も表情はあった。
精神なのか性格なのかなんぞ俺には分からないが、大事な部分がぶっ壊れているこいつでも確かに心はあるのだ。そう思えたのに。

今のこいつにはまるで恐ろしく精巧にできた人形のようだ。
それが酷く俺自身の心をざわつかせた。

ぽーんと音が鳴り一階に到着するとエレベーターの扉が開いた。
二人連れだって降りる。

エントランスに到着して少しばかり驚いた。
先ほどまで居た部屋も調度品等の様子から、それなりのグレードのホテルであろう事を窺わせていたが、ここは“超”の付く高級ホテルだ。
磨かれ抜かれた大理石の床に、天井から垂れさがるシャンデリア。こう言葉にしてしまうと成金趣味の悪趣味に思えるかもしれないがそのどれもが品よくまとまっている。

それに、俺の家のある市では無いのであろう。恐らく隣の市だ。
さてどうやって帰るか、電車はまだあるのだろうかと思う。

キョロキョロしながら考え事をしていた所為もあり、つい足を止めてしまった。
くっと軽い衝撃と共にあいつに引っ張られた。

「あ、悪い。」

幸いなのかなんだか俺には分からないが、掴んだ手は離れなかった。
というか、無視か?
無視なのか?

俺の謝罪は聞こえたはずなのに、うんでもなければ済んでも無く、目線を合わせる事もせずあいつはスタスタと歩きはじめたのでそれに合わせて俺も追いかける。

きっと大した時間は経っていないのだけど、朝までのあいつとの馬鹿みたいなやり取りが懐かしい。
ムカついていたし、まともにならないかなんて、何度も考えた。
だけど、もうまともじゃなくていいし、それこそ変態発言も我慢するから元のこいつに早く戻って欲しい。

ドアマンに扉を開けられ外に出ると外は完全に真っ暗だ。
さて、これからどうするかと俺が考えているとあいつは目の前に止まっているタクシーに一直線に向かって行った。

おい、支払いどうするんだよと思ったが、もう疲れた。とりあえずこいつに支払わせて後の事は後で考えよう。
開いていたドアから後部座席に乗り込む。

すぐ隣にあいつが乗り込むものだと思っていたが、いつまで経っても乗り込もうとしない。
あいつは助手席の窓をノックして運転手にドアを開けさせた。

「××市内へ。料金先に渡しておきますから。」

と、万札を2枚渡した。
いくら大学生の俺でも分かる。明らかに必要な金額より多い。

それに、この馬鹿の意図も分かった。
要は、俺だけ帰れ自分は帰らんって事だろ?

「おい、ふざけんなよ。」

俺は馬鹿に言った。
運転手にも「済みません。まだ出発しないでください。」と声をかける。
運転手は困惑気味だが今はそれどころでは無い。
俺が半分怒鳴り声で言った所為か、無表情が崩れ目を少し見開いて驚いた顔をしている。
こいつの表情が変わった事に少しだけ気分が浮上した。

「乗れよ。」
「何故?」
「何故だって!!帰るんだよ。」
「貴方、自分の言ってる事分かってますか?」
「は?分かってるに決まってんだろうが。……帰るぞ。」
「こっちの事情に巻き込まれて何言ってるんですか?」
「まずは帰って、話しはそれからだろうが。」

俺が言ったところで、あいつは黙ってしまった。

「とにかく、帰って俺の話しを聞け!それ位したって罰当たんねーと思うぞ。」

すると渋々といった体であいつはタクシーに乗り込んだ。
その瞬間ほっとしただなんて一生あいつには言ってやらない。

このまま、ここで別れてしまったら、きっと、元には戻れない。
はっきりした理由なんて説明できないけれど、ここで絶対にこいつを離してはいけない。そんな確信めいた感情だけが俺を突き動かしていた。

タクシーでも相変わらず無言のままだったが、横に座ったあいつの手にそっと自分のそれを乗せても振り払われる事は無かった。