5-1

朝起きたら熱は下がっていた。
憂鬱な気持ちで授業を受けて、憂鬱な気持ちで小西先輩の部屋へと向かった。

今日は早すぎた様で、インターフォンを鳴らしても誰も出ない。
一旦自室へ引き上げようかと思ったが、行き違いになっても困るため諦めて待たせて貰うことにした。
このカードキーが部屋のドアを開けられるものなのかは知らない。試してみる気も無い。
誰か別の役員と鉢合わせになるかと思ったが、誰とも会うことなくしばらくすると小西先輩と五十嵐君が連れ立ってきた。

俺の元に駆け寄ってくる五十嵐君の顔色は別に悪くはなかった。少しだけ心配だったのでほっとした。

「お待たせしてすみません。」

申し訳なさそうに五十嵐君に言われ、慌てて手を振って、そんな事ないと返す。
そうこうしているうちに、小西先輩がドアのロックを外し中へ入れと誘導される。

五十嵐君の細い体が先に中に入り、それから俺が入った。

昨日と同じようにソファーに楽に座ってもらい、作業を始めた。
小西先輩も昨日と同じように水の入ったタライをそっと俺の横に置いた。

昨日よりは大分小ぶりになったものの、また今日一日で新しい糸をこびり付けているもののそれでも最初の状況よりはかなりマシだ。

一本一本取っていると、小西先輩が五十嵐君に声をかけていた。

「ケーキあるけど食べる?」

五十嵐君は俺の方をそっと見た。
昨日もそうだったけど気にしなくていいのになと思う。
苦笑い気味でどうぞと声をかけると、小西先輩に「お願いします。」と言っていた。

「佐紀ちゃんは紅茶派だよね。アイスティーでいい?」
「はい、ありがとうございます。」

作業以外の事を気にしていても仕方が無い。
俺は目の前の糸の塊に集中することにした。

それから、たっぷり2時間ほどひたすら糸をほぐした。

目の前に1本だけになった糸を確認して、ふうと息を吐いた。
その音で気が付いたのだろう、小西先輩がこちらをみて、それから糸を確認し「お疲れ様」と声をかけた。

五十嵐君も周りを見回して、澱み消えてますねと喜んでいる。

「とりあえず、一旦は元に戻せたと思います。
ただ、また明日には少しずつ引き寄せてしまうと思います。」
「そう、ですか。」
「引き寄せないような体質にするために、俺の実家に通ってもらうんですよ。」
「はい、頑張ります。」

ニコリと笑って五十嵐君は手を握った。

「今日は体のだるさは?」
「全くないと言ったらウソになりますけど、昨日よりは全然!」
「そうですか、よかったです。」

俺がそう言うと「本当にありがとうございます。」と言って帰り支度を始めた。
小西先輩は引き止めないのかと思ったが、そんな様子はない。

「ねえ、これって明日も何かした方がいいのか?」

小西先輩に尋ねられる。

「ああ、はい。多分明日も引き寄せられていると思いますので……。
1か月もすると徐々に引き寄せられなくなってくるとは思うのですが。」

五十嵐君の体質の強さ次第なのでなんとも言えない。

「ふーん。じゃあ、佐紀明日も放課後ここで。」
「はい!それでは失礼します。」

五十嵐君は帰ってしまった。

俺も帰ろうと支度をしていると

「ケーキまだあるんだ。食べてけばいいよ。」

そう、そっけなく言われた。

「へ!?」

正直驚いてしまった。この人が俺と時間を過ごそうとしていることに。

「どうせ、今日も体調悪くなってるんだろ。顔色悪いし。
具合悪すぎて何も受け付けないって言うなら別だけど。」

ぶっきらぼうに言う小西先輩が少しだけおかしくて、ふふっと笑った後

「食べます。」

と答えた。
小西先輩は、初めて俺の前で満足げに笑った。

ソファーに座り待っていると小西先輩がキッチンから戻ってきた。
トレーに載せられてきた皿には真っ白なクリームのシフォンケーキが乗っていた。

「どうぞ。」

そう言って置かれた、暖かい紅茶とケーキ。
そっと透明なセロファンを外して一口、口に含むと上品な甘さが口いっぱいに広がった。
ふわふわとしていて、少しだけレモンの香りがして、疲れ切った体に染み込むように美味しい。

一口一口かみしめる様にして食べる。
暖かな紅茶もいい香りでとても美味しく感じた。

「美味しいです。ありがとうございます。」

ふと、顔を上げてお礼を言うと小西先輩と目が合った。
こちらをみて、笑顔を浮かべていた。

思わず持っていたフォークをギュッと握った。

何か変だ。なんでこの人はこんな顔で俺の事を見ているんだろう。
いたたまれなくなって、ケーキに集中した。

夕食もどうだと言われたが、断った。
こんな恨んでも、遣る瀬無い気持ちをぶつけられるのでもない状況には耐えられそうもなかった。
自分が何を言い出してしまうかわからなかった。

«   »