茶の間まで腕を引かれて行くと、座っているように言われる。
一旦部屋から出たあいつが湯気を立てたマグカップを二つ持って戻ってきた。
コーヒーの良い香りが部屋に広がった。
差し出された片方を受け取って口を付けた。
料理は何も出来ませんと言っていた割りに旨い。
手なれた様子でマグカップを持ってくる様子から、恐らく料理が出来ないと言う事が謙遜か嘘のどちらかだろうと思った。
あいつは俺の横に腰をおろす。そして、自分の分のコーヒーに口を付けた後、俺の様子について聞いてきた。
「あの後、何かあったんですか?」
「……別に。」
お前のこと好きなんじゃないかと友人に言われたなんて言う訳に行かず、口ごもる。
あいつは、貼り付けたような笑顔のまま
「言いたくない事なら言わなくて良いですよ。」
と言った。
何故か、いや、理由は分かっているが、貼り付けた笑顔と俺の事を気遣うような言い方にイライラする。
こういう時には照れてるんですか?とか食べちゃいたいですねとか空気の読めない発言は絶対にしないのか。やはり、今までの言動はからかっていただけなのかと思う。
「……なあ、あんた、俺の事好きか?」
イライラした気持ちのまま聞く。
あいつは少し驚いたような顔をした後、笑顔をやめた。
ああ、そっちの顔の方が良い、素直にそう思った。
俺もあいつも喋らないので室内は静まり返っている。
面倒な奴とでも言われるか、それとも博愛主義者っぷりを発揮されるのか、俺があいつが何を言うのか待っていると、あいつは口を開いた。
「好きじゃないですよ?」
当然のこと、普通の事のようにあいつは言った。
はは、やっぱりそうか。体の力が抜ける。
立って話をしなくて良かった。目の前でがっくりと力が抜けて座りこむ醜態をさらすところだった。
「何ていえば良いんでしょう。恐らく僕は一生誰も好きになりませんよ。」
祖父の資料を見ている時と同じ、真剣な表情で言われ、それを本気で言っているのであろう事が分かる。
こいつの過去を何一つ知っている訳ではないし、出会ってから大した時間が経っている訳でもない。
けれども、こいつの考え方が、生き方がひどく不器用でそれがとても愛おしくなってしまった。
柄にもない、自分でもそう思う。
現に自分自身に対して、「しっかりしろ」だとか、「馬鹿か」であるとか突っ込みを繰り返す思考も存在している。
「何でだ?何で一生誰も好きにならないんだ?」
知ってしまえば、深みにはまり込む、分かっているはずなのに聞く俺は正に馬鹿なのであろう。
「所詮は恋愛感情なんてものは、脳の誤作動だからですよ。」
何て事が無いようにこいつは言った。
高梨教授の研究分野は確か脳のはずだ。恐らくこいつの研究分野も同一なのだろう。
だからこそ、その言葉には妙な説得力があったし、逆にこいつのいびつさの象徴のようにも感じた。
「たとえ、誤作動だったとしても、長い間ずっと育んで慈しんだ愛情であればそれは本物になるんじゃないのか?」
祈るような気持ちで言う。
「感情というものは変わるものですし、愛だの恋だのを語る事に何の意味も無いでしょう?
そもそも、性交渉にしたって別に何の感情も無くてもできるでしょうに。」
そう言って笑った。
その笑顔をみて分かってしまった。ああ、こいつは恋愛が信じられないのでは無い、人間が信用できないのだと。
固まっている俺をよそに、さらに話を続けた。
「変わらない愛なんていうものが、もしこの世に存在するのであれば、今僕は一人じゃ無いと思いますよ。」
こいつは自分がもてる事も、周りからどう見られているかもきちんと認識出来ている。その上でこう言っている。両親が居ないと言っていた経緯もあるのかも知れない。
自分で一人でいる事を受け入れて、諦めきっているその笑顔にズキリと胸が痛む。
じゃあ、何でお前から同居に持ち込もうとしたのだ、とか何故キスしてきたんだよとか疑問は浮かぶが、それより、今はそれより……。
「なあ、キスしていいか?」
今はただ、孤独なこいつに触れてみたかった。