朝起きて、いつもの日課は無くなった。
一度、今までの癖でドアノブに糸を引っかけて登校したところ、メッセージアプリでしつこいくらいにあの人から「どういう事?」「なんでそんなことするの!?」とメッセージが着ていた。
だから、糸はそのままで登校する。
今日は全校集会があった。
指から伸びる糸は真っ直ぐに前方に向かっている。
役員席にいる小西先輩を見つけると、あの人も俺に気が付いたようでニコリと微笑まれた、気がする。
だけど、別に笑い返すことも手を振ることもしなかった。
そもそも、付き合っている事以前にお互いにお互いを認識しているということすら周りには伝えていないのだから。
一度、寮の役員専用フロアで小西先輩と一緒にいるところに鉢合わせたことがある。
その時は、すっぽりと抱え込むように抱きしめられて、会長と顔を合わせることは無かった。
多分、俺みたいなのと付き合っていると思われるのは心外だったのだろう。
俺が小西先輩でも、きっと同じことをする。
その後、かなり大げさなくらい謝られたが、そんなに謝らなくてもいい。
自分でも、何故アンタが俺を選んだのか分からないのだから。
多分、付き合い始めてから二人で居るところを見られたのはその時だけだ。
転校生の五十嵐君は気が付いているのかもしれないけれど、何も言わない。
毎週の様に俺の実家に行って、平日は俺が糸を洗う。
辛いはずなのに、彼の口からは弱音や愚痴が出たことは無い。
いつもたわいもない、それこそ普通の友人がする様な話をしている。
小西先輩のことを聞かれたことは無い。
同室の山田にも聞かれたことは無かったし、周りに触れ回った感じもしない。
以前と何一つ変わらない生活だ。
だけど、たった一つだけ変わったことがある。
夜6時少し前、預かっているカードキーで役員専用フロアに向かう。
あの人が帰ってきているかは五分五分だ。
今日はまだ、帰ってきていないようだった。
カードキーを使って部屋に入るのは、全くなれない。
五十嵐君も直ぐに来て、絡まった糸を解した。
彼の引きつける体質は最初の予想通り中々治ることは無かった。
作業が終わった頃丁度あの人が帰ってきた。
「ただいまぁ。」
それじゃあ、と言って五十嵐君は席を立った。
これも大体いつもの日常だった。
二人きりになった。
「夕ご飯、食べようか。」
学園での間の伸びた様なしゃべり方が、影をひそめる。
俺が自炊をするか、デリバリーを取るか大体毎日食事を一緒にしている。
食事をとると大体はソファーでDVDを見たり、ゆっくりとすごす。
小西先輩は俺を甘やかすように抱き込む。
そうして、時々、付き合う前に殴ってゴメンと言って頬を撫でたりする。
別にどうでもいい人間には、暴言も吐くし、むかつけば殴りもするだろう。
「あまり、気にしすぎない方がいいですよ。」
気を使って言ったつもりが顔をくしゃりと歪められ、どうしたらいいのか分からなくなる。
「俊介はいつも、そうやって一歩引いてる。」
困ったように笑う小西先輩は、それから「良しっ!」と自分に言い聞かせるように喋ると、おもむろに俺を抱き上げた。
「な、…なんですか?この状況。」
「いや、全部さらけ出してもらおうと思って。」
「は……?」
何を言っているんだこの人は?
そのまま、俺を担いで寝室へ向かってベッドに放り出された。
視点がぐるりとなって今は天井しか見えなかった。
「さらけ出すって……。」
何を指しているのか分からない程、無知でも馬鹿でもなかった。
「自分が好き勝手したことを俊介に怒って欲しくて、更に好き勝手するって本末転倒かな?」
その表情があまりに切なげで、俺の心臓もギリギリとする。
だからだろうか、何も言えなかったのは。