幸せの欠片

恋人と迎える朝がこんなにも幸せなものだってことを今までずっと知らなかった。

理一は目を覚ますと、ぼんやりと横で眠っている人の顔を見た。

多分触れてしまえば一総は確実に起きてしまう。

異能の所為なのかもしれないし、育ってきた環境に由来しているのかもしれない。

その部分について聞いたことは一度も無かった。

恐らく理一が聞いたら丁寧に一総は答えてくれるだろう。

けれど、それをする意味があるようには思えなかったし、寝たふりでもされた方が居心地が悪い。

ぼんやりと一総はを眺めていると、視線に気が付いてしまったからだろうか、一総が目を覚ます。

「おはよう。」

寝ぼけているとか、ぼーっとしているとかそんなことは一切ない。

直ぐにきれいな発音でそう言われて少し残念に思う。

「おはようございます。」

けれど、そう理一が返すと一総は幸せそうに目を細めて笑顔を浮かべる。

そんなことでといつも思ってしまう様なことで一総は幸せそうに笑う。

まるで、それは不器用な理一の代わりに怒って笑ってるんじゃないかと思ってしまう程だった。

「さて、朝ご飯にしようか。」

一総は言う。まるで、理一の考えを打ち消すようなタイミングだった。

「そうですね。手伝させてください。」

理一はあまり料理が得意では無かった。

それに比べ、一総は家事全般をそつなくこなす。

愛人稼業みたいな部分も担っている一族だからなと一度冗談めかして言われたことがあったが、それに対してどう返していいのか理一には分からなかった。

けれど、一総が普通の生活を営ませてくれようとしていることだけは理一にも分かった。

普通に二人で食事をして、二人で学校に行って、それから家に帰ってきてぼんやりと今日あったことをお互いに話して二人で眠る。

そんなことを自分ができる様になるとは、理一は思っていなかった。

ただ、一人であの発作の様な衝動に耐え続けて一生を終えるものと決めてしまっていた。

だから、ごく普通にこうやって笑いかけられて、ゆっくりと過ごすことがとても幸せだ。

それは一総が作り出した仮初の皆に祝福されている世界より、理一にとっては幸福な世界だと思えた。

それは理一自身が選んだ事なのだ。

だから、今日が毎日続けばいいと思っている。

「あ、そういえば今日1時間目、理科の実験なんですけど、その準備頼まれて。」

理一が言うと、じゃあ俺も出ようかなと一総が言う。

「いや別に無理して――」

理一の言葉は「生徒会の仕事もあるしな。」という一総の言葉で止まる。

「じゃあ一緒に出ましょうか。」

理一がそう言うと一総は満足げに笑った。

朝の理科室は誰もいない。

大体においていつもそうだった。

「おはようさん。」

だから白崎が明らかに授業時間より早く来るとは思っていなかった。

彼の妹が学校に来てからしばらくが過ぎていた。

実家からの呼び出しもあったし、お互いに気まずくて話しかけることはできなかった。

だから、白崎がこうやってわざわざ人気のない朝の時間話しかけてきたことに驚いた。

大人の間である程度話はついてしまっている。

だから、自分のことなんか無視しても大丈夫なのだ。

どこか、気まずそうに、けれど思いつめたような様子で白崎は「手伝おうか。」と聞いた。

大体授業の準備は理一が一人でしていた。

いままで、少なくとも白崎がそれを気にしたことも無かったし、こんな風に朝会ったことも無かった。

だから、彼に何か用件があることはすぐに分かった。

教卓の上に置かれたビーカーを理一が取ると、「……聞いたから。」と白崎が切り出す。

「何を。」

「妹の話していた事全部。」

あまり気持ちのいい話では無かっただろう。

「うちの一族と木戸、……リーチの一族との話も聞いた。

兎狩りの話も。」

妹が話をしている時白崎は何も知らされていなかった様だった。

守護石と彼が呼んでいる石を必要としている異能の一族は多い。

石を提供する対価として、御仁の一族が求めているものがいくつかある。

その中で一番重いものがアイラが言っていた兎狩りだ。

先祖返りである九十九が生れた際に、白崎の一族から戯れに八つ裂きにされる人員を提供する。そんな馬鹿げた約束が昔からされているのだ。

「無いようにするために努力してるから。

だから、白崎もそれは無かったものとして暮らして欲しいよ。」

理一が微笑む。

ごくり、と白崎が唾を飲み込む。

いまだって、多分少し力を込めてしまえば白崎を殺すことができる。

そんなことを考えてしまっている時点で、すでに化け物だという自覚はある。

「まあいいさ。」

さっぱりとした笑顔で白崎が言う。

「いいか、よく聞け。

お前が誰かを、どうしても殺さなきゃなくなったらまず俺を殺せばいい。」

理一は驚きの表情を浮かべた。

だって、当たり前だ。そんな自殺志願者の様な台詞をこんな朗らかに宣言すること自体おかしい。

なのに、白崎はいっそ爽やかな雰囲気でそんなことを言う。

「今までの詫びと、それからうちの一族は恩があるから。

そんなことで済むならそれでいい。」

白崎は当たり前の様に言う。けれどそんなことは当たり前でもなんでもないのだ。

「そ、れは……。」

途切れ途切れの言葉で、理一は返そうとするが喉の奥の方で言葉が消えてしまう。

馬鹿にするなともふざけるなとも言えなかった。

記憶の端にある自分より前の九十九の記憶がそれを許さなかった。

「まあ、可能性的には低いんだろ?

それに多分、会長様がそれを許しはしないだろうし。」

単なる言葉遊びだよと白崎は笑う。

だけど、それは単なる友人同士の応酬になっていないこと位理一でもよく分かる。

「だから、俺がいいって言ってるんだ。

リーチが気に病む必要は全くないんだから。」

だから……そこで白崎が言いよどむ。それから視線をそらしつつ続きを言った。

「だから、会長様が卒業しても大丈夫だから。」

突然出てきた卒業という言葉に、最初何の話をしているのか分からなかった。

けれど、白崎が何を伝えようと伝えようとしているのかにすぐ気が付いた。

「ああ、来年の話だ。」

未来の事を白崎は言っていることに気が付いて、思わず事実を理一は言ってしまう。

自分にまともな未来があるとは思っていなかった。

だから、こうやって誰かが自分の未来の事を話してくれることがただひたすらに嬉しかった。

「あー、会長様がリーチの事気に入るの少し分かってしまった気がする……。」

何も返せなかった理一に白崎がそんなことを言った。

意味が分からず白崎を見つめ返す。

「教えちゃうと会長様に怒られそうな気がするし、それに――」

白崎はもう一度意識をしたみたいに笑顔を浮かべる。

「友達として協力できることはしたい。

俺が言えるのはそれだけだ。」

今度こそ理一は声すらも出せなくて、どうしたらいいのか分からなかった。

それは暴力的な感情に困ってしまうのとは全く別の困惑で、白崎は「変な顔。」と笑い声をあげた。

「それじゃあ、授業の準備しちゃいましょうか?」

「へ。手伝ってくれるのか?」

「勿論。」

とりあえずその布と棒は俺が配るから。白崎にそう言われ理一は笑顔を浮かべた。

今日帰ったら、友達とこんなことを話したんだとあの人に伝えられるだろうか。

恋人の顔を思い出しながら理一は作業を始めた。

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