沈丁花が咲いていた。
生垣という程ではないが家と道の間に生えている木は小さな花をつけていて、夕暮れの薄ぼんやりとした中、甘い匂いがふわりした。
俺はずっと前からこの香りが好きで、高校のころ二人乗りをした自転車の後ろで三宅に話したことがあった。
「良い匂いだな。」
三宅が確かめる様に言った。
「そうだな。」
今日のこの思い出だけで一生生きていけそうなくらいいい香りだ。
三宅の手を強く握りなおす。
見上げた三宅の顔は優し気で、あの頃のままで思わず涙が溢れた。
「あーあ。泣かせたかった訳じゃないんだけど。」
「泣かせる様な事をしたお前がいけないんだろ。」
思わず恨み言を言ってしまってしまったと思う。
そんな事を言いたいんじゃない。
もう二度と会えないと思っていたんだ。だから。だから。
「好きだったんだ。これからも多分ずっと――。」
俺と手を繋いでない方のてで涙を拭われた。
「重たいなあ。」
「誰の所為だと思ってるんだ。」
俺に触れた指が殊更優しく頬を撫でた。
「俺の所為だね。」
目を細めた三宅が悲しそうに笑った。
俺のこと忘れちゃえばいいのになんていうもんだから思わず睨みつける。
「別に一生お前の事ばかり考えるのは不幸じゃないんだよ。」
沈丁花の花を見ながら三宅に言うと、三宅は自分の肩に置いた。
「それは反則だなあ。」
「そうか?」
「そうだよ。」
反則をしているのはお前の方じゃないのか?口元まで出かかった言葉は飲みこんでしまう。
反則だったとしてももう一度と思っていたのは、俺も一緒なのだから。
顔を上げた三宅がクシャリと表情を崩して笑った。
「もう時間切れみたい。ごめんな。」
いやだ。そんなの嫌だ。
いっそ連れて行ってくれと言ったらやっぱりお前は困るのだろうか。
何も言えなくて唇を戦慄かせると、三宅はふっと息を吐く音とともに笑ってそれから口付けを一つ落とした。
後は、まるで花が散るみたいに体がふわりとほどけていった。
「……馬鹿野郎。」
まだ、先程まで繋いでいた手の感触だってあるのだ。
一緒に匂いを嗅いだ沈丁花のかおりだってまだしている。
もう少しだけ、あとほんの少しだけで一緒にいてくれても良かったのに。
嗚咽と共に涙が止まらない。
三宅が交通事故で帰らぬ人となったのはもうずいぶん前のことだ。
なのに、あいつのいない毎日に慣れることのできなかった俺を心配してきっとあいつは無理をして会いに来てくれたんだろう。
沈丁花の花の香りが俺を包み込む。
多分、この花の香りを嗅ぐ度に今日のことを思い出してしまうのだろう。
呪いの様だとも思う。
だけど、それがとても嬉しい事だと感じてもいるのだ。
三宅の握ってくれた手を確認する。
忘れちゃえばいいと言われたけれどやっぱりずっとあいつの事を忘れられそうになかった。
了