人魚病

その病気は名前位は知っていて、だけどどこか他人事で遠くの世界で起きている。そんな病気だった。

人魚病

じわじわと体が結晶化していってしまう病気で、発症はするのはほぼ足の先から。
結晶化というか石になってしまった部分がまるで半透明の鱗の様で通称人魚病と呼ばれているし、医療関係者以外は多分正式名称を良く知らない。

原因不明のこの病は徐々に結晶化が全身にまわり死に至る。
唯一の治療方法は早期に発見された足を切断することだ。

学校で、義足を装着している人に対する差別についての授業をした事があったけれどどこか他人事でしか無かった。

学校を卒業して工場で働き始めてもそれは変わらなかった。

だから、足先が少し硬くなっても、人魚病は思い浮かばなかったし、足の甲にうろこ状の結晶がびっしりと覆う様になってようやく医者にかかったのだ。

それがいけなかったのだろうか。発見時期とはあまり関係無いと医者は言っていたが他に理由は思い浮かばない。

直ぐに足を切断したにも関わらず、人魚病が再発してしまったのだ。
結晶化してしまった箇所は疼く様に痒い。そこに切断した足の幻肢痛があるのだ。

足は2度ほど切断して右足はひざ下がない。
それでも人魚病は再発してしまった。

とても珍しい症例らしい。

だから、これ以上体を切っても人魚病は治らないかもしれない。

じわじわと体に水晶の様な鱗が覆って体自体も結晶化する様子を眺めながら死んでいかなければならない。
そんな人生、もし絶対にごめんだ。

けれど、他の選択肢が無かった。

大した金も無く、新しい治療を探してそれに賭けるなんて事もできそうにない。
今日日宗教だって金がかかるのだ。

そんな時、お高そうな車で俺の家を訪ねてきたのは、秘書だと名乗る一人の男性だった。

「人魚病の治療法の確立にご協力いただけないでしょうか?」

要約するとそんな内容だった。
被験者として体を差し出して、もし死んだ場合は遺体を提供する代わりに無償で住む場所他を提供し最新の治療法が試せる。

要は珍しい症例なので実験体になりませんか?というお誘いだった。

その時は酷く疲れていて片足が無いことで仕事もままならなくなっていて、思わず承諾してしまったのだ。

あれよあれよと引っ越しの段取りが決められた。
病院なり、研究所なりに寝泊りするのだろうと思っていたがどうやら違うらしい。

とても言いにくそうに、秘書と名乗った人が教えてくれた。

個人の出資家が資金提供をしているらしく、俺が住むのはその人の邸宅らしい。
それだけであれば単なる篤志家もいるもんだという話である。

けれど秘書の人が言いにくそうにしていたのはその先の話だった。
その男はこの人魚病に異常な執着を示しており、結晶化してしまった元誰かの肉体の一部をコレクターとして所有しているらしい。

話が違うと叫ばなかった自分を褒めてやりたい。

要は、俺はコレクションの一部として買われたということなのだろう。
まるで象皮病をみてニヤニヤと笑う悪魔の様だ。

「勿論、私たちの研究所と致しましては治療を優先させていただく所存です。」

はっきりと言われてももうあまり信用はできなかったけれど、仕事も辞めてしまったしどうすることも出来ない。

豪華な屋敷について、この家の主に呼ばれる。
仕事部屋を兼ねているのだろう、部屋に入った瞬間見えたのはどっしりとした机とその向こう側に座っている一人の男だった。

恐らくこいつが自分を買い取った男だ。
人の肉だったものを集めている男だ。どんな変態かと思ったが見た目は所謂、美丈夫というやつで見た目からその異様な趣味はうかがえない。

「お連れ致しました。」

秘書の人が話しかけると「ああ。ありがとう。」と返す男をぼんやりと見つめる。

男はこちらを見るが目は合わない。
男の視線はもっとずっと下。俺の足元にしか向いていないのだ。

そこで、秘書と名乗った人の言っていたことは本当だったと思い知る。
この目の前の男は俺自身にはまるで興味は無く興味があるのは人魚病だけなのだ。

いつか石になるもの。

それ以上でも以下でもないのだ。

「貴方が俺を飼い殺しにするんですか?」
「ちょっ!?」

秘書が慌てて止めようとするが、口から出てしまった言葉はもう戻らない。

「……飼い殺しになんてしないさ。君には人魚病のメカニズム解明を手伝ってもらわなければ。」

曰く、治療法が確立されれば人工的に人魚病を起こす事ができる。そうすれば芸術作品として動物なりなんなりの一部に鱗が生やせるのではないか。
それがこの男の望みらしい。

全くもってなんでそんなもんをしたいのかが分からない。

「君の現在の発症箇所をみせてくれるかい?」

世の中の大抵の人間が見惚れるであろう笑みを浮かべ男は言う。
半ばやけくそになってズボンを脱ぎ捨てる。
もう、切断していない方の足にも発症している。

濁った青い色の結晶がびっしりと鱗の様に足を覆っている。

「ああ美しい。なんて綺麗なんだ。」

この男は綺麗だと言うが、普通にごそごそになっていて見た目的にも気持ち悪い。

それに、この男が俺の結晶化した足、人魚の鱗に覆われたそれを見る目はまるで工芸品を見るかの様で他人に対するそれとは全く違う様に思えた。

蔑む様な目で見られたこともあるし、憐れむ様な目で見られたこともある。
けれどそれのどれよりも気持ちの悪い目で見られている気がした。
そんな俺の気持ちなど知ったことでは無いのであろう、男は勝手に話している。

「蒼士(そうし)という名前もうろこの色と同じで素晴らしい!」

そんな風に名前を褒められたことは無かったし、できることならそんな褒められ方は一生したくは無かった。

「うつると言われてるのでアンタも同じ病気になればいい。」
「ああ、それもいいね。
愛好家の間でもしコレクターが亡くなった場合の譲渡先ももう指定済みだよ。」

気分を害した風も無く、さも当然の様に自分が死んだら俺含めたコレクションは同好の士に渡って手厚く保管される事、そこに発病した場合の自分自身が含まれることを語られても正直困る。

あまりの価値観の違いに

「それにしても足を切り落としてしまったのは勿体ない。」

男は目を細めてそんな事を言う。
死ねと言っているのと大して変わらない事に気が付いていないのであろう。

「足が1本の方が、本物の人魚みたいでしょう?」

嫌味の一つ位口にしてしまっても罰は当たらないだろう。
そもそも、この男は恐らく俺の事を物としてしか興味が無いのだから言ったところで意味も無いのだろうけど。

それなのに、男はこちらをじいっと見ると「そうだな。蒼士は俺だけの人魚だから。」といって下手糞な笑顔を浮かべた。

調子を崩されっぱなしで、なんて返事をしたらいいのか分からず、思わず視線をそらした。
それすら気が付いているのか、興味が無いのか男は、君の部屋は1階の端だからとだけ言うともう何も話しかけてきたリはしなかった。